jojo広重という方

アルケミーから佐藤幸雄とわたしたちのCDが出ることが一部でとても驚かれているので
経緯というか馴れ初めの話から始める

非常階段とすきすきスウィッチが初めて出会ったのは1980年6月6日の「天国注射の夜」@ニューヨークシアター 「HEAVEN]の創刊記念のイベント 主催:ハバナムーン
の時
すきすきスウィッチは最初のテクノポップ編成の4人にドラムを加えた5人。
非常階段を観たのはその時なのだが、タコと出番が続いていて、どちらがどちらだったのか
ま、よくわからなかった
という記憶
ステージ上でギターを弾いていたであろう広重くん(以下、そう表記することにする。社長だけど)の印象も残っていない。それ以外の暴れてるメンバーばかり目立っていたからだと思う

80年夏からぼくは田中泯に師事し、約5年間に多くのことを学んだ。
81年の秋、田中泯がミルフォード・グレイブス、デレク・ベイリーを招き全国各地で公演を繰り広げた時には、スタッフとしてもっぱらデレクのためのアンプを運び(ミュージックマンのアンプを指定された)、その即興演奏を浴びた
それが基準になってしまった自分には、同時代のフリーミュージックとかノイズと称されるもののほとんどが物足りなく感じられた
その間、非常階段はスキャンダラスな話題を振りまき、結果として聴き手の層を増やしていったが、如何なんだろう?こういう方法は。と思っていた

1986年11月2日、フジヤマ店長渡辺正から、パンクロックのカバー大会やるけど出ない?と誘われ、ジョナサンリッチマンのなら演るよ♪と応えた日@ラ・ママ、が大きな転機だった
主役は「原爆階段」。(これが今に至る〇〇階段の第一回目)
原爆オナニーズのメンバーとともに、ホークウインドの「シルバーマシーン」などを嬉々として演奏する美川、広重くんを観ているうち
あぁこの人たちはロックのディストーションやフィードバック(グワーンとかギュイーンとか)が大好きなんだ。そして、そこだけを特化して抽出して演奏しているんだ。
と、突然了解された。これはとてもロックなのだ。と
そうか、ならばよくわかる。気持ちも何もかも。猥雑なやり方も含めて全て、と

一方、ジョナサンリッチマン&モダンラヴァーズを日本語にして歌ったぼくのことを広重くんはいたく気にいってくれたらしい。(服部夏樹とともに「佐藤幸雄&ナッポス」として登場)

そして間があく
ぼくがまた歌い始められるかもしれない、と公開練習から始めた2011年晩秋
広重くんが、そのことをとても喜んでいるとSNSで知った

ようやく聴いてもらえたのは2016年12月1日@新宿ロフト Drive to 2100 に出演した時
初音階段で参加していた広重くんと、ちょうど30年ぶりに会って話した
翌日すぐに連絡をくれてアルケミーからのリリースを申し出てくれたのだった

(続く)


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